2023/06/23

 

友人にここ一、二週間で観た映画3本の感想を伝えようとしたが、全然言葉が出てこないのとなんなら内容が既に曖昧になっていたことに少しショックを受けた。基本酒を飲みながら観ているというのもあるが、一つ観るたび感想を書こうと思った。苦手なことはたくさんあるが出来るようになるまで努力することがあまりできない。昔から自分で何か出来たと思うたび周りを見渡してしまう。だから出来るまで頑張るというのは私の性格上あまり向いていないのだ。出来たと思わなければ私の繊細な心が歪むことはない。学校でも塾でも家庭教師でも授業中、「出来たら教えてね」という先生の言葉に「出来ました先生」と言うことがすごく苦手だった。解答を全部書けたとしても出来てるなんて思わなかった、不安だった。なんなら全部埋められないことがほとんどだった。なにも言わず下を向いていると「出来た?」と声を掛けてくれる。それでも「はい出来ました」と言えることはなかった。

出来た。と思うことは料理くらいかもしれない。メニューを考えてレシピを調べる。足りないものはスーパーに買いに行く。キッチンに立って食材を切り調味料を混ぜて鍋で煮たり、炒めたりする。味を調整したらお皿に盛り付ける。飲み物やお箸を準備し部屋のテーブルに並べる。そのときどきでマヨネーズや醤油をかけたりする。

料理が出来たのだ。これ以上はない。だから私は料理が結構好きなのかもしれない。でも好きになってしまうとやらなければならないのでこの考えだけが気に入っているということにしたい。

料理は好きだが自炊は苦手だ。

【自炊】

・自分で飯を炊くこと。自分で食事を作ること。

とある。

ここにそれを自分一人部屋で食う。というのはきっと含まれていないが、私は自炊という言葉をそう捉えている。自分で食事を作り自分の飯を一人部屋で食う。たまに仕方なくやっているが、ここ3ヶ月くらいはやっていない。といってもパスタを茹でて出来合いのパスタソースをかけたり、米を炊いてレトルトカレーをかけたりすることはある。これは自炊ではないのだ。料理は考えるところから始まる。そして出来上がる。それを一人で食うなんてまっぴらだ。私は苦手だ。それをやっている人がほとんどなことも理解している。特に意味はない。嫌で嫌で仕方ない。料理が不味いと感じてしまう。自分で作った料理を自分一人で食べていると、自分対自分になる。ただでさえ常に自分の相手をしているのにそんなのうんざりだ。

ここまで色々書いてはいるものの、こんなに料理について考えたのは初めてだ。とにかく料理は深いということを色んな誰かが言っていた気がするが、あれは本当だろう。

私は父親のことが本当に嫌いだが、父親は料理人だということをいつも思い出す。